#高校世界史B 第3章 東アジア文化圏の形成
山川出版社高校世界史B第3章東アジア文化圏の形成より問題を抜粋しました。教科書と資料集等を読み込めば必ず解ける問題ばかりなのでぜひ挑戦してみて下さい。もし誤りがある場合はTwitterで教えていただけるとありがたいです。
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1. 南北朝を統一して隋を成立させた人物名と彼が導入した官吏任用制度の名称の正しい組み合わせは?
- 李淵(高祖) 九品中正
- 文帝(楊堅) 科挙
- 煬帝 科挙
正解は「文帝(楊堅) 科挙」です。北周出身の文帝(楊堅)は南朝の陳(南朝の最後の王朝)を倒して中華統一を行いました。彼は均田制や府兵制等の南北朝時代の諸制度を採用する一方、官吏任用制度として科挙を整備し儒学の試験により広く様々な人材が集まり儒学はさらに浸透します。煬帝は文帝の跡を継いだ第二代皇帝、李淵(高祖)は唐の皇帝、九品中正は魏から始まった官吏任用制度です。
2. 隋の煬帝について、誤った内容の文は?
- 土木事業や相次ぐ外征により民衆の離反を招き、最後には部下の宇文化及に殺された。
- 外征を繰り返し、征服地では都護府を介した羈縻政策を実行した。
- 華北と江南を結ぶ史上初の大運河を建設した。
正解は「外征を繰り返し、征服地では都護府を介した羈縻政策を実行した。」です。宇文化及は高校世界史の範囲ではありませんが選択肢問題で明らかに高校分野の知識ではないものが出ている場合その選択肢は正しく、一つ、明らかに誤りを含んだ選択肢がある可能性が高いです。今回の誤った内容の文は唐の高宗の政策です。
3. 次の説明文において空欄に当てはまる最も適当な語の組み合わせは?
- A 六部 B 理藩院 C 両税法
- A 六部 B 御史台 C 租調庸制
- A 六部 B 都察院 C 租調庸制
正解は「A 六部 B 御史台 C 租調庸制」です。唐代には三省六部とそれらから完全に独立した御史台による国家機構が整備されます。また州県制や府兵制といった諸制度と税制として穀物・絹布・力役を課した租調庸制が設けられました。これらの政策は地主勢力を抑え自作農を推進しましたが高級官僚が荘園を所有していたため不十分なものに終わってしまいました。
4. 次の二枚の写真から分かる唐代の文化と社会情勢について正しいものは?
- 都の長安には東アジアの周辺国に限って沢山の外国使節が来訪した。
- 唐三彩では外国から伝来した文化や国際色の豊かな文化が表現されなかった。
- ササン朝の滅亡により多くのイラン人が長安に移り住みイラン系風俗が流行した。
正解は「ササン朝の滅亡により多くのイラン人が長安に移り住みイラン系風俗が流行した。」です。唐文化は豊かな国際色が特徴的です。なかでも西域から伝来した文化は唐で大きな影響を残しました。651年にはササン朝が滅び、多くのイラン人が長安に移住したため、ポロをはじめとしたイラン系風俗が流行することのなります。
5. 次の説明文において空欄に当てはまる最も適当な語の組み合わせは?
- A 玄奘 B 義浄 C シュリーヴィジャヤ王国
- A 仏図澄 B 義浄 C ドヴァーラヴァティー王国
- A 義浄 B 玄奘 C シュリーヴィジャヤ王国
正解は「A 玄奘 B 義浄 C シュリーヴィジャヤ王国」です。唐代仏教の玄奘・義浄と彼らのインド旅行はルートやその後の記録についてよく出題される分野ですのでしっかりとおさえましょう。義浄はインドからの帰国途中でシュリーヴィジャヤ王国に立ち寄り、大乗仏教の信仰が盛んだったことを記録しました。
6. 唐の周辺諸国について述べた次の文のうち、正しいものは?
- 八世紀半ばに大規模遊牧国家であるウイグルは新興のトルコ系民族である突厥に滅ぼせれた。
- チベットではソンツェン=ガンポが吐蕃を建設した。
- 大祚栄は雲南で南詔を成立させた。
正解は「チベットではソンツェン=ガンポが吐蕃を建設した。」です。唐代は様々な周辺国家が勃興しますが北方の突厥、ウイグル、チベットの吐蕃、雲南の南詔、朝鮮半島の新羅、中国東北の渤海とある程度、範囲を絞って学習しましょう。突厥はウイグルに滅ぼされ、大祚栄は中国東北で渤海を成立させています。
7. 次の説明文を読んだ上で、問題文に答えてください。2018関西大改
- ネストリウス派 ニケーア公会議
- アリウス派 ニケーア公会議
- ネストリウス派 エフェソス公会議
2018年、関西大学の過去問を参考に作成した問題です。唐代に伝来した外来宗教はキリスト教ネストリウス派(景教)、マニ教、ゾロアスター教(祆教)を覚えましょう。ネストリウス派が異端となったのは431年のエフェソス公会議、325年のニケーア公会議はアリウス派が異端と決されました。
8. 唐の第六代皇帝、玄宗の治世に起こった出来事について正しいものは?
- 租調庸制に代わって両税法を採用し、財政再建を試みた。
- 辺境の防備を行っていた節度使が力を握り、安禄山と史思明が安史の乱を引き起こした。
- 貞観の治といわれる積極政治を行ったが、晩年には楊貴妃を溺愛し政治は不徹底なものに終わった。
正解は「辺境の防備を行っていた節度使が力を握り、安禄山と史思明が安史の乱を引き起こした。」です。北方の節度使であった安禄山と武将の史思明は楊貴妃の一族の排除と国家体制の復興を目的に安史の乱を引き起こします。安禄山はソグドと突厥の混血なので頭の片隅に置いておいてください。貞観の治は二代皇帝の太宗の治世を表し、玄宗の治世は開元の治です。また両税法を採用したのは第九代皇帝の徳宗なので注意しましょう。
9. 次の選択肢を起こった順に並び替えた場合、正しいものは?
正解は「B→A→D→C」です。Aは749年(723年とも考えられる)の六代皇帝の玄宗の治世、Bは則天武后が在位した690~705年、Cは九世紀後半(907年に唐は滅亡)、Dは780年の九代皇帝の徳宗の治世での出来事になります。
10. 唐滅亡後の分裂時代について述べた次の説明文において空欄に当てはまる最も適当な語の組み合わせは?
- A 後梁 B 五代十国 C 長安
- A 後梁 B 五代十国 C 開封(汴州)
- A 後周 B 五胡十六国 C 長安
正解は「A 後梁 B 五代十国 C 開封(汴州)」です。禅譲とは帝王がその位を子孫へ伝えないで有徳者に譲ることです。これにより朱全忠は後梁を開きます。都を開封(汴州)に置き、後梁から始まる五王朝と各地の十の国々をまとめて五代十国といいます。
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