#高校世界史B 第5章 西ヨーロッパ世界の成立
山川出版社高校世界史B第5章西ヨーロッパ世界の成立より問題を抜粋しました。教科書と資料集等を読み込めば必ず解ける問題ばかりなのでぜひ挑戦してみて下さい。もし誤りがある場合はTwitterで教えていただけるとありがたいです。
ビュー数1380平均正答率64.2%全問正解率3.4%
正答率などの反映は少し遅れることがあります。
1. 前6世紀からヨーロッパに定住したケルト人について述べた次の文の内、正しい内容のものは? 2021早稲田大改
- アルフレッド大王はケルト人の英雄でありアングロサクソン族の侵入を撃退した。
- ゲルマン人の侵入によりケルト人は現在のウェールズ、スコットランド、ブルターニュ半島等に追いやられた。
- ヴァンダル王国、次いでランゴバルド王国を建国した。
正解は「ゲルマン人の侵入によりケルト人は~」です。ゲルマン人よりも前、ヨーロッパの先住民にあたるケルト人に関する問でした。ケルト人はローマに圧迫された上にゲルマン人に追いやられ今日のアイルランド、スコットランド、ウェールズに移動しました。アルフレッド大王はアングロサクソン人、ヴァンダル王国のヴァンダル人、ランゴバルト王国のランゴバルト人はいずれもゲルマン人の一派となります。
2. 次は5世紀頃のヨーロッパの勢力図の一部である。(a)の領域を支配した国名とその国について述べた文の最も適当な組み合わせは?
- 東ゴート王国 北アフリカから侵入したイスラーム勢力に滅ぼされた。
- ランゴバルト王国 この国の国王はキリスト教アリウス派からカトリックに改宗をした。
- 西ゴート王国 北アフリカから侵入したイスラーム勢力に滅ぼされた。
正解は「西ゴート王国 北アフリカから侵入したイスラーム勢力に滅ぼされた。」です。南フランス、イベリア半島の大部分を領有している点から西ゴート王国と判断できると簡単に解答できると思います。この後はフランク王国に敗れイベリア半島に退くのですが都のトレドを中心にキリスト教文化の中心地として栄えました。711年にこの国はイスラーム勢力の半島進出で滅びることになります。
3. 次の説明文中の空欄に当てはまる最も適当な語句の組み合わせとして正しいものは?
- A:スラブ人 B:アッティラ王 C:クヌート D:テオドリック大王
- A:マジャール人 B:テオドリック大王 C:アッティラ王 D:オドアケル
- A:フン人 B:アッティラ王 C:テオドリック大王 D:オドアケル
正解は「A:フン人 B:アッティラ王 C:テオドリック大王 D:オドアケル」です。ややこしい名前がたくさん出てきますがどれも個別や穴埋めで問われてもおかしくないものだと思います。ここでは各個人について説明しきれないのでぜひ教科書でもう一度内容を再確認したり一問一答で定着させていってください。
4. 次の選択肢を起こった順に並び替えた場合、正しいものは?
正解は「C→A→D→B」です。一番の難関はAとDの順番だと思います。トゥールポワティエでカールマルテルが名声をあげる→聖像禁止令→ローマ教会が反発し教会が強力な保護者を求めるという流れですがトゥールポワティエがあったから後に聖像禁止令が出てもローマ教皇は強力な保護者としてフランク王国を選ぶことができたというのが簡単な考え方ではないでしょうか。BとCは王朝名から確実に並び替えたいですね。
5. カール大帝について述べた次の文の内、正しい内容のものは?
- イタリア政策を実行した。
- アルタイ語系のアヴァール人を撃退した。
- ローマ教皇にラヴェンナ地方を寄進した。
正解は「アルタイ語系のアヴァール人を撃退した。」です。初代神聖ローマ皇帝のオットー1世が撃退したマジャール人とごっちゃにならないように気を付けましょう。ローマ教皇にラヴェンナ地方を寄進(ピピンの寄進)したのは小ピピン、イタリア政策は後のローマ皇帝がとった政策です。
6. A、B、Cの内、カールの戴冠が行われた時期として正しいものは?
正解は「 B 」です。模試・私大入試でたまに見る問題形式です。ちなみに中の人は年代を覚えるのが苦手なんですけどカールの戴冠はなんだかんだずっと覚えてます。「800年カールの戴冠」です。きりのいい数字なので簡単ですし万が一年代問題が出題されてもこれを基軸に考えることができますのでぜひ覚えてほしい年代の一つですね。
7. フランク王国はヴェルダン条約とメルセン条約で三つの国に分かれました。次の三つの選択肢の内、西フランクに関する内容のものは?
- 皇帝のイタリア政策で国内が混乱しジェノヴァ、ヴェネツィアなどの都市共和国(コムーネ)が誕生した。
- 国王オットー1世が初代神聖ローマ皇帝となった。
- 10世紀末にユーグ=カペーがカペー朝を開いた。
正解は「10世紀末にユーグ=カペーがカペー朝を開いた。」です。設問の西フランクという記述より今日のフランスにおける出来事の文が正解となります。カロリング朝の血筋が断絶した後聖界の圧倒的支持という後光を背景に王位についたカペー朝のユーグ=カペーですが当初はフランドルやアンジュー等の伯勢力により王権が非常に弱体な物でした。ここからカペー王家傍系を含めると800年にも及ぶフランス王国の歴史が始まります。
8. 西ヨーロッパの封建社会について述べた次の文の内、誤った内容のものは? 2020東京経済大改
- 家臣が主君に絶対的に服従する義務をもつ、片務的契約に基づいていた。
- 農民は農奴とよばれ、移動の自由をもたなかった。
- 家臣一人で複数の主君をもつことができた。
正解は「家臣が主君に絶対的に服従する義務をもつ~」です。西ヨーロッパ世界における封建的な主従関係は主君と家臣の双方に契約を守る義務がある双務的契約が特徴的です。またその関係は一対一ではなく、一人の家臣が複数の主君と契約することもあり得たという点もおさえましょう。封建社会に関する出題は記述問題としても出題しやすい分野なのでここで他の制度などもしっかり見直しましょう。
9. ノルマン人の移動について述べた次の文の内、現在のロシア、ウクライナにおける出来事として正しい内容のものは?
- ルッジェーロ二世が両シチリア王国を建設した。
- 1066年にノルマンディー公ウィリアムがノルマン朝をたてた。
- リューリクを首領とする一派が9世紀にノヴゴロド国、ついでキエフ公国を建設した。
正解は「リューリクを首領とする一派が~」です。ゲルマン人一派のノルマン人は9~11世紀にかけてスカンディナヴィア半島やユトランド半島からヨーロッパ各地に大移動を始めました。この問題は現在のロシア・ウクライナの地域における出来事を選択するのでノヴゴロド、キエフに関する記述が正解となります。両シチリア王国は南イタリア、シチリア島に、ノルマン朝はブリテン島に存在していました。
10. 次の説明文中の空欄に当てはまる最も適当な語句の組み合わせとして正しいものは?
- A:クリュニー修道院 B:レオン3世 C:インノケンティウス3世 D:コンスタンツ公会議
- A:ベネディクト修道会 B:レオ3世 C:オットー1世 D:ヴェルダン条約
- A:クリュニー修道院 B:グレゴリウス7世 C:ハインリヒ4世 D:ヴォルムス協約
正解は「A:クリュニー修道院 B:グレゴリウス7世 C:ハインリヒ4世 D:ヴォルムス協約」です。中世の教会・修道院勢力はこの章の文化史でひとまとめで登場します。叙任権闘争に至った経緯、関係人物、結果はそれぞれしっかりとおさえたいところです。設問の都合で掲載できませんでしたが教皇権の最盛期は13世紀のインノケンティウス3世です。
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