高校世界史 #中世イスラーム世界
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1. 次の王朝のうち、イスラーム王朝でないものはどれか?
ヴィジャヤナガル王国(1336~1649)は南インドを支配したヒンドゥー教の王国、インド洋交易でアラブ馬を大量に入手し勢力を拡大しました。マタラム王国(1580年代末~1755)はマジャパヒト王国滅亡後のジャワ島に成立したイスラーム王朝。マリ王国(1240~1473)は1076/77年のムラービト朝の攻撃によるガーナ王国の衰退及び西アフリカのイスラーム化後におこった国家。
2. デリー・スルタン朝を成立順に並べたとき3番目にあたる王朝はどれか?
デリー・スルタン朝は成立順に、奴隷王朝(1206~90)、ハルジー朝(1290~1320)、トゥグルク朝(1320~1414)、サイイド朝(1414~51)、ロディー朝(1451~1526)となります。ハルジー朝は地租の金納化をはじめとする経済改革を実施し、トゥグルク朝はデリー・スルタン朝最大領域を築きました。サイイド朝は周囲を強力な国家に囲まれ支配は弱体でした。
3. アフガニスタンを支配した次の王朝のうち、イラン系の王朝はどれか?
不正解のガズナ朝及びホラズム=シャー朝はトルコ系です。
4. 次のうち、シャリーア(イスラーム法)の根拠とならないものは?
シャリーアはコーラン(クルアーン)やハディース(伝承)から導き出されるもので、時代や地域、学派によって多少の違いが見られます。ワクフは寄進であり、この制度を活用してモスクやマドラサ、病院や隊商宿等の社会基盤が整備されました。
5. 16世紀までヨーロッパの医科大学の教科書として使用された「医学典範」の著者は誰?
- イブン=シーナー
- イブン=ハルドゥーン
- イブン=ルシュド
イスラーム文明では様々な学問が発達しましたが医学ではギリシア・インドの医学を取り入れ外科手術が発達しました。
イブン=シーナーは哲学の分野でも「治癒の書」を著しています。他にもイブン=ルシュドはアリストテレス哲学の注釈書をかき中世西ヨーロッパにも影響を与えています。イブン=ハルドゥーンは定住民と遊牧民の王朝交替を中心に歴史を考察した「世界史序説」を著しました。
6. ウマイヤ朝からアッバース朝への交替と共に支配体制は変化しました。この変化のうち異民族改宗者(マワーリー)が納めなくなった税はどれか?
ジズヤは人頭税を意味しウマイヤ朝までは改宗しても免税されずマワーリーの不満が募りました。ハラージュは地租でありアッバース朝に至って支配下の民すべてが納めるようになります。ザカートは救貧税でありウマイヤ朝までは免税特権によってアラブ人はザカートのみを負担していました。
7. 次の東アフリカ海岸都市のうち、明の鄭和やヴァスコ・ダ・ガマが訪れた都市はどれか?
マリンディとソファーラは東アフリカ海岸都市で、ダウ船貿易と呼ばれるアラビアからインド・東南アジア・中国との交易で栄えました。明の鄭和やヴァスコ・ダ・ガマが訪れた都市はマリンディで、ソファーラはブラジルを発見したカブラルが訪れました。また、ソファーラは金で栄えたモノモタパ王国の港でもありました。トンブクトゥは西アフリカ内陸交易の中継地として栄えました。
8. インドと西洋を仲介する紅海貿易を行ったイスラームの商人グループは何と呼ばれるか?
キャラヴァンは隊商、タージーは大食とかき中国でのムスリム商人のことを言います。
9. アッバース朝はカリフとして、モンゴル軍に滅ぼされるまで長きに渡って続いた。次のうちアッバース朝と同時に存在しなかった王朝はどれか?
アッバース朝の滅亡は1258年でハルジー朝成立は1290年ですのでこの2つは同時に存在しませんでした。一方、カラハン朝は10世紀半ば~12世紀半ば頃、マムルーク朝成立は1250年となります。
10. 10世紀にバグダードに入城したブワイフ朝が採用した土地の徴税権を軍人に与え俸給に見合う額を農民や都市民から直接徴税させる制度を何というか?
正解はイクター制。アター制はブワイフ朝以前のカリフが軍人に直接アター(俸給)を与える制度。ティマール制はオスマン帝国が行った、軍事奉仕の代償として騎士が徴税権(ティマール)を保有する制度のこと。
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