せかいしくいず #中世ヨーロッパ世界クイズ<世界史>
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1. 726年、聖像禁止令を発布したビザンツ皇帝は( )。
- レオン3世
- グレゴリウス7世
- ユスティニアヌス1世
グレゴリウス7世はカノッサの屈辱の際のローマ教皇。ユスティニアヌス1世は『ローマ法大全』編纂の際の東ローマ皇帝。
2. 五本山に数えられる5つの教会がある都市は、ローマ、コンスタンティノープル、イェルサレム、アンティオキア、アレクサンドリアである。
それぞれの教会は、首位権をめぐって対立していた。なかでもローマ教会とコンスタンティノープル教会は二大勢力に発展していった。
3. フン人が西ローマ帝国およびゲルマン諸部族の連合軍に敗れた戦いの名称を選べ。
- レヒフェルトの戦い
- カタラウヌムの戦い
- ヘースティングズの戦い
レヒフェルトの戦いでドイツ王オットー1世はマジャール人を撃退した。ヘースティングズの戦いでは、ノルマンディー公ウィリアムが勝利しイングランドに侵入、ノルマン朝を創始した。
4. カルタゴの故地に王国を建設したゲルマン人の一派として正しいものを選べ。
ブルグンド人は現在のフランス東南部に建国、のちにフランク王国に併合された。
デーン人はユトランド半島に拠ってデンマーク王国を建設した。
5. フランク王国に関して述べた次の文のうち、正しいものを選べ。
- クロ―ヴィスはアナタシウス派からアリウス派に改宗し、ローマ人の支持を得た。
- ピピンはラヴェンナ地方をローマ教皇に寄進し、これが教皇領の始まりとなった。
- ヴェルダン条約の結果、ロタール1世は西ローマ皇帝位と東フランクを継承した。
ロタール1世は西ローマ皇帝位と中部フランクを継承した。
クロ―ヴィスは元来ゲルマン人の多くが信仰していたアリウス派から、ローマ文化圏で正統とされていたアタナシウス派に改宗した。
6. 正誤を判定せよ。A- オドアケルは東ゴート王テオドリックに殺害された。B-アーヘンにはカール大帝の宮廷があった。
- AもBも誤り
- AとBのいずれかが誤り
- AもBも正しい
7. 以下の文のうち、正しいものを選べ。
- 荘園において、入会地は農民の自主的な耕作に任された。
- 農民が領主に対して収穫や畜産物の10%を納める十分の一税という税があった。
- 西ヨーロッパ中世の封建制では、封土を媒介として主君と家臣のあいだに双務的契約関係が発生した。
十分の一税は教会に対しておさめたもの。
入会地は農民が共同で利用した土地。
8. ノルマン人一派ルーシの首領で、ノヴゴロド国を建てた人物を選べ。
クヌートは1016年にイングランド王となったデーン人の王。
エグバートは七王国を統一しイングランド王国を建てた王。
9. ( )は、ローマ人からガリア人と呼ばれていた。
ザクセン人はカール大帝によって征服されたゲルマン人の一派。アヴァ―ル人は東方からフランク王国に侵入したが、同じくカール大帝により撃退された。
10. 両シチリア王国について述べた文として、正しいものを選べ。
- ルッジェーロ2世が建てた王国で、首都はパレルモにあった。
- ハギア=ソフィア聖堂に総主教座を置いていた。
- ランゴバルド王国から分かれた一派が地中海に進出して建国した。
両シチリア王国はノルマンディー公国から分かれたものである。
ハギア=ソフィア聖堂はビザンツ帝国にあった。
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