~基本編~ #日本馬・調教馬の海外遠征クイズ Part0
前作クイズPart.1が難しすぎ!とのお叱りを受けたので、日本馬の海外遠征に関する基礎問題(一部逸脱)を作りました。Part.1以後と共にご堪能ください。
ビュー数906平均正答率50.4%全問正解率3.1%
正答率などの反映は少し遅れることがあります。
1. アーモンドアイが勝利した海外G1レースの名前は?
- ドバイターフ
- ドバイワールドカップ
- ドバイシーマクラシック
メイダン競馬場で開催されるドバイターフは、1996年創設(当時はナド・アルシバ競馬場開催)芝1800m、2019年3月にアーモンドアイはこのレースを征した。ドバイシーマクラシックは98年創設の芝2410m。ドバイワールドカップはダート2000mで、そもそも適性外。
2. 下記の競走馬のうち、国内・国外両方でG1レースを勝利した馬は?
リスグラシューは2018年のエリザベス女王杯と翌年の宝塚・有馬、そしてオーストラリアのムーニーヴァレー競馬場で開催されたウィリアム・サミュエル・コックスプレートを勝利した。ルーラーシップは12年に香港のQE2世Cを勝利したが国内G1勝利は無い。エピファネイアは13年菊花賞と14年ジャパンCを勝利し、同年にはQE2世C、15年にはドバイワールドカップに出走したが、どちらとも優勝はしていない。
3. フランス遠征を行ったエルコンドルパサー。彼の出走した海外4レースは全て芝2400mである。
エルコンドルパサーの海外レース出走順は、1999年5月:イスパーン賞(G1)→7月:サンクルー大賞(G1)→9月:フォワ賞(G2)→10月:凱旋門賞(G1)であるが、この内イスパーン賞のみ芝1850mである。したがって正解は×。
4. 日本調教馬による海外障害レース勝利は、2021年以前は一度もない。
中山大障害(春・秋)を生涯で4度優勝したフジノオーが英仏に渡り、1967年にてパリのアンギャン競馬場開催のレーヌ賞、同年同場のレルミット賞をそれぞれ優勝している。したがって正解は×。(ただ、21年以前では海外障害競走に出走した馬は彼一頭しかいない。)
5. 地方競馬所属馬として初めて海外レースに出走した馬は?
アジュディミツオーは2004年の東京大賞典勝利を評価されたことで、翌年3月開催のドバイワールドカップに招待され、地方競馬所属馬初の海外レース参戦を果たした(結果は6着)。ホクトベガは川崎記念、帝王賞などの地方レースを巡業した後、予後不良の為競走中止となった1997年ドバイワールドCに参戦しているが、所属は中央。コスモバルクの初海外遠征は2005年5月の香港チャンピオンズマイル。
6. 日本調教馬兼日本産馬初の海外G1勝利を果たした際の騎手は?
この問題は是非正解したいところ。武豊は2001年12月香港ヴァーズ(G1)にてステイゴールドに騎乗し、彼を日本調教馬兼日本産馬初の海外G1勝利に導いた。因みに、日本調教馬初海外G1制覇であるシーキングザパールのモーリス・ド・ギース賞勝利時の鞍上も武豊。すごい。
7. 日本のみならず海外でも活躍した蛯名正義元騎手。彼が初めて海外重賞競走勝利を収めた際の日本調教馬は?
- エルコンドルパサー
- フジヤマケンザン
- マンハッタンカフェ
フジヤマケンザンは1995年の香港国際カップ(現在の香港C。当時は香港ではG1扱いだったが、国際基準に於いてはG2。)を勝利し、鞍上の蛯名正義騎手にとっては初めてとなる日本調教馬による海外レース制覇を果たした。
8. 1959年2月23日、日本調教馬初の海外重賞制覇&米国レース勝利を成し遂げたハクチカラ。その時の鞍上は誰?
難問。ハクチカラの主戦騎手としては保田隆芳が有名だが、初海外重賞制覇となったワシントンバースデーハンデキャップ時の鞍上は保田ではなく、1954年のケンタッキーダービーを征したレイモンド・ヨーク。経緯としては保田はハクチカラと共に渡米し、前年5戦したが惨敗。その後鞍上はアーキャロに代わり、更に乗り替わったヨークによって上記の内容を果たす。コアな競馬マニアでない限り、間違えても無理はない。
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