ルドルフ1世から冷戦まで #オーストリア史クイズ
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1. マルヒフェルトの戦いによりルドルフ1世に打ち破られ、後にオーストリア他シュタイアーマルクなどを奪取された人物は?
聖ヴァーツラフはボヘミアの祖とも呼ばれる。ジギスムントは候補が多すぎる
2. 大特許状によりオーストリア「大公」を名乗ったことによりできるようになったことは?
- 大公国内で土地を封ずること
- 神聖ローマ帝国外の勢力との同盟
- 分割相続の禁止
帝国外勢力との同盟は大空位時代からすでにあちこちで行われていた。分割相続はしたりしなかったりしている
3. オーストリア大公であったハプスブルク家は結婚政策の成功により広大な土地を治めることとなった。さて、カール5世が保持していなかった称号は?
トスカーナ大公国の成立はまだ。アストゥリアスはスペイン北西部、フランドルは低地地方。
4. 三十年戦争時、カトリック連盟の総指揮官となった人物は?
- アクセル・オクセンシェルナ
- ティリー伯ヨハン・セルクラエス
- ヴァレンシュタイン
ヴァレンシュタインはオーストリア軍の総指揮官であってカトリック連盟の指揮官ではない。アクセル・オクセンシェルナはスウェーデン王グスタフ2世アドルフの宰相。
5. 第二次ウィーン包囲後、オーストリア他は大トルコ戦争に突入した。講和条約であるカルロヴィッツ条約の結果、ハプスブルク家が再獲得した称号は?
ハンガリー王は大トルコ戦争前から名乗っている。セルビアはまだオスマン領。
6. プロイセンはオーストリア継承戦争によってシュレージェンを獲得した。さて、この後のオーストリアの君主家名は何か。
- ハプスブルク=ヴィッテルスバッハ家
- ハプスブルク=ハノーファー家
- ハプスブルク=ロートリンゲン家
マリア・テレジア以後この複姓を採用している。ヴィッテルスバッハ家はバイエルンなど、ハノーファー家は英国など。
7. フランス革命前後、ポーランドは分割され消滅した。オーストリアの統治下となったポーランド地域の自治国家の名前はどれか。
- ポーランド立憲王国
- クラクフ共和国
- ポズナニ大公国
ポズナニ大公国はプロイセン、ポーランド立憲王国はロシア。
8. 19世紀後半、オーストリア帝国はハンガリーに対し大幅な自治権などを認め二重帝国となった。さて、この認めたことについての名前はどれか。
Ausgleichです。アウグスティヌスとかは関係ありません。当然オーガスタスも関係ありません。
9. WW1時イタリアは連合国側で参戦したが、それは未回収のイタリアの割譲を約束されたからだった。これに当てはまりかつ割譲されたのは以下のどれか。
サヴォイアはフランス領(フランス語名サヴォワ)で返還されず。ラグーサは現在クロアチア語名ドゥブロヴニク、ダルマチアの南端付近に属し、WW1後はスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国のものとなった。
10. 冷戦末期、ベルリンの壁崩壊の遠因の一つともなった事件に汎ヨーロッパ・ピクニックがある。このとき全面解放されたのは、オーストリアとどこの国境?
東ドイツからチェコスロバキア経由でハンガリーに渡り、そこからオーストリアへ向かった。東ドイツとは国境を接していない。
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