董卓政権編 #三国志クイズ
董卓軍好きの董卓軍好きによる董卓軍好きのためのマニアックなクイズ!
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2. 次のうち、董卓に直接諫言した記録のない人物は誰?
盧植は少帝弁の廃立に関して、朱儁は軍事に関して諫言を行いました。
3. 次のうち、董卓政権のブレーンである蔡邕の著作ではないのはどれ?
『論衡』は王充による名著。『十意』は、『続漢書』の志の下敷きとなった各種の事項について記したもの。『独断』は、後漢王朝の制度について記したもの。
4. 次のうち、反董卓連合の乱の際に、董卓の娘婿である中郎将・牛輔の指揮下になかった人物は誰?
反董卓連合の乱が起こると、その対策として李傕・郭汜・張済・賈詡らは、校尉として牛輔の指揮下に置かれ、陝に駐屯していました。徐栄は牛輔と同格の中郎将で、牛輔とは別に反董卓連合軍を防いでいました。
5. 次のうち、李傕と対立して殺された人物でないのは誰?
李傕・郭汜・樊稠に次ぐ政権の重鎮であった楊定もまた李傕と対立しましたが、殺されることなく、献帝の東遷において中心的な役割を担い、やがて敗れて荊州に逃れたところ、劉表の勢力に敗れてそのまま史書から姿を消します。
6. 董卓政権では、蔡邕や呂布・徐栄・牛輔などの重鎮は中郎将に任じられましたが、その他に董卓により中郎将に任じられた人物として適切ではないのは誰?
段煨・董越は、牛輔らとともに中郎将として各地に駐屯して反董卓連合軍を防ぎました。樊稠は、李傕らとともに長安を占拠して実権を握った後に中郎将、次いで将軍となりました。
7. 「董卓軍四天王」と俗に言われる李傕・郭汜・樊稠・張済は、将軍でありながら開府して政治に参与しましたが、この他に同様の立場にあった人物は誰?
牛輔は李傕たちが政権を奪取する前に死んでいます。賈詡は後に将軍となりましたが、開府はしていません。楊定は、先述の通り、李傕・郭汜・樊稠に次ぐ実力者で、張済より格上です。
8. 董卓軍の次の武将たちのうち、呪術を好み、巫女に降霊をさせたり、董卓死後に董卓の神坐を作って祭っていたりした人物は誰?
牛輔もまた似たようなエピソードがあり、彼は臆病な性格で、人と会うときはまず相者に反気があるかどうかを占わせ、さらに吉凶を筮占させた上で、やっと面会したといいます。
9. 董卓軍の次の武将たちのうち、いつも腰に三本の刀を提げ、かつ手に鞭と刃物を手にしていたという人物は誰?
そのため、献帝の側仕えの者たち(侍中や黄門侍郎)は、李傕を恐れて、常に自分たちも帯剣持刀して、毎日先に献帝の側に侍るようにしていたといいます。
10. 政権争いにより荒廃した関中にあって、唯一農業を振興して安定した統治を行い、献帝に対して二心無しと言われた忠臣でもある、旧董卓政権の人物は誰?
董卓政権の重鎮の将帥である中郎将の一人であった段煨は、反董卓連合の乱勃発時よりずっと華陰に駐屯し、難民たちも多く身を寄せ、朝廷の重臣たちの信頼も厚く、李傕を見限った賈詡が真っ先に身を寄せた人物でもありました。
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