平泉-仏国土をめざす建築・庭園 #世界遺産クイズ(日本の世界遺産)
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1. この世界遺産の登録基準は?
2 「価値観の交流」渡来文化(仏教、思想と建築様式)と古来の思想との融合
6 「顕著な普遍的な価値を持つ出来事」「生きた伝統」 世界でも類を見ない仏国土を空間的に表現する事で建築、宗教儀式、民族芸能に受け継がれた
4「建築様式や技術の発展段階」は認められず、登録リストから構成資産が削除された
2. 死後に仏国土に行くことで成仏できる、日本人の死生観にも多大な影響を及ぼしたこの考え方は?
3. 毛越寺を開山したとされるのは?
慈覚大師円仁
中尊寺は実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立
毛越寺は 基衡によって再興
4. 平泉中尊寺金色堂に関する記述として誤っているものは
- 金色堂の上棟は清衡が自身の廟堂として建立したもので藤原三代のミイラ及び泰衡の首が安置されている
- 1962年から6年解体修理が行われ、旧覆堂(国重要文化財)を他に移し、新しく鉄筋コンクリート
- 宇治にある平等院鳳凰堂をモデルとし建立された。阿弥陀堂の東には居住地である柳之御所があった。
5. 清衡が中尊寺建立の際、平和祈念,戦乱で落命した敵味方の霊の鎮魂と極楽浄土を願い、鎮護国家の根本道場とする旨を書き記したもの
6. 次のうち誤っているものは?
- 源義経を自害の後、源頼朝の攻撃で奥州藤原氏は滅亡。 その際、中尊寺金色堂と毛越寺焼失
- 豊臣秀吉の命で寺の秘宝であった4500巻の紺紙金銀字交書の殆どが高野山の金剛峯寺に移動、
- 中尊寺金色堂の装飾には、地元の金と漆漆と共にアフリカや西域の材料も使われ、海外との交流の証
頼朝は庇護 中尊寺は室町時代に金色堂と一部の建物を除き火災で焼失 毛越寺は1226年焼失
7. 1.中尊寺、2.毛越寺、3.無量光院のご本尊は?
- 釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、
- 阿弥陀如来 薬師如来 釈迦如来
- 薬師如来 阿弥陀如来 釈迦如来
三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院の建立は、すべての生あるものを過去世から現世さらに未来世にいたるまで仏国土に導きたいという願望を表したもの
8. 追加登録を目指す『吾妻鏡』にも記され、藤原清衡・基衡の屋敷跡は?
中国産の白磁の壺、12世紀の平泉遺跡群の中でも最も多くの質と量の遺物、遺構が発見
最初構成遺産に含まれていましたが、削除され、追加登録を目指しています
達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂の
9. 同じく追加登録を目指す
安倍頼時(清衡の祖父)の八男則任の居城跡 安倍氏関連の遺跡は
長者ヶ原廃寺跡 は伽藍配置などからも奥州藤原氏の祖先の安倍氏が建立されたと考えられている大寺院跡
骨寺村荘園遺跡は藤原氏の荘園跡
10. 次のうち追加登録リストにはいっているものは?
坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟。懸崖造りの毘沙門堂 清水寺を模している
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